
はじめまして。
「輝くわたし覚醒」メソッド、
「心の癖をほどく」カウンセラー
関口敦子です。
神奈川県横浜市出身。父、母、私、妹の四人家族。
現在は、東京都で夫と2人暮らし。(子供なし)
私は50代になるまで、ずっと
「生きるのって、しんどいな…」
と感じながら生きてきました。
- 親の顔色や言動が気になる
- 本当の気持ちを言えない
- 「NO」が言えずに、我慢してしまう
こんな私は、なぜかいつも
誤解され、不当に扱われ、
長いこと人生が楽しくありませんでした。
でも、
心理学やスピリチュアルを学び、
「心の癖」をほどいていくことで、
私は変わることができました!
このページでは、
私の人生のストーリーと、
『輝くわたし覚醒』メソッドが
どのようにして生まれたのかを
お話ししていきますね。
母の期待と比較
父の暴力
いつも不安で緊張していた幼少時代

私は、幼い頃から
母にハグをされた記憶が全くありません。
周りの友達たちが、
お母さんに駆け寄って甘えるのを見ては、
いつも羨ましく感じていました。
さらに母は、子供を「勲章」にしたい人だったので、
私はいつも、
妹や友達の誰かと比較されていました。
私が先生に褒められたり、
学校などでも良い成績や表彰されるなどすると、
母はとても機嫌がよく、褒めてくれるのですが、
母の期待に応えられないと、大変です!
「○○ちゃんはできたのに、なんであんたはできないの?」
「△△ちゃんが選ばれて、なんであんたが選ばれなかったの?」
「もう、あんたなんかに期待しない!ガッカリだわ!」

ヒステリックに叱られて、
時には”無視”されることもありました。
毎日がこんな状況ですから、
とにかく母がご機嫌でいてくれるよう、
いつも母の顔色をうかがい、
ビクビクしながら生活していました。
また父は、普段は口数が少ない人でしたが、
とにかく、怒ると手が出る人でした。

「注意は2回まで!」という我が家のルールがあり、
2回の注意を無視してしまうと、
容赦なく平手が飛んできました。
小さな私たちは、たまったものではありません!
体が吹っ飛ぶくらいの衝撃を受けるので、とても怖かったです。
また、私が「やりたい」と言ったことに対しては
厳しい人でもありました。
特に忘れられないのが、自転車の練習のエピソードです!

近所の男の子たちが自転車を乗り回していたのを見て、
「私も乗れるようになりたい!」
と父に行ったのが運の尽き。
次の日から、毎朝6時に起こされ、
大人用の補助輪無しの自転車に
いきなり乗せられました。
もちろん、
最初からうまく乗れるはずもありません!
つききりで練習させられ、
手やヒザは擦りむき、血だらけ。
しかも、転ぶたびに
「諦めるな!」
と怒鳴られました。
泣きながら
「もう嫌だ!」
と言っても、
「自分が”やりたい”
と言ったんだから、最後までやれ!」
と怒鳴られ、
結局やめる事を許されませんでした。
でも、これ以上「やめたい」と言ったら、
また父に叩かれるかもしれない・・・
この時から私は
「NO」を言わない方が、安全なんだ」
と学んでしまったのです。
さらに、こんな両親が喧嘩をすると
それはもう凄かったのです。

怒鳴り合うのはもちろんのこと、
それがエスカレートすると、
母の言葉の攻撃にかなわない父が、
母を掃除機の柄で殴りつけたかと思うと、
気の強い母も負けてはおらず、
父の腕に噛みついて反撃!
父の腕にはくっきりと赤黒く、
母の歯の跡がついていたこともあり、
自分の親ながら、両親共に恐ろしく思いました。
夫婦喧嘩は毎週のように勃発し、
「今日はケンカしてないといいんだけど…」と、
学校から帰ってくるのもヒヤヒヤで、
私には心休まる場所がなく、
いつも不安で緊張していました。
いじめ、孤独・・・
「私のどこがいけないの?」と悩み続けた学生時代

小学校も5年生になったころ、
同級生のボス的存在の子に目を付けられ、
クラス全員の女子から無視されるようになりました。
・朝「おはよう」と言っても、誰も返事をしてくれない
・休み時間に誘っても、まるで私がそこにいないかのように無視する
・クラスでグループを組む時は、「あの子と一緒は嫌だよね」と引き離す
クラスの他の子は
自分がまきこまれるのが怖くて、
遠巻きに見ているだけでした。
結局5年6年とクラス替えが無かったため、
そのいじめは2年近くに及びました。
この間、母に相談すれば、
「オマエがなにか、やったんでしょう!」
と責められるか、
学校に乗り込んで大騒ぎし、
今より現状が悪化するかもしれない・・・

だから誰にも言えず、
私は毎日、笑顔を作りながら、
一人ぼっちで過ごしていました。
そして、母親には
「今日は○○ちゃんと、こんなことして遊んだよ!」など、
2年近く、嘘の報告をしてやり過ごしました。

今考えても
よく自殺しなかったと思います。
それほど辛かった。
そして、こうした出来事は、
中学・高校でも似たようなことが続きました。
「私のどこがいけないの?」
「ナゼ私は、こんなに嫌われるの?」
と、私はいつも自分を責めるようになりました。

20代 恋愛にも影響が出た「人の顔色を気にする」心の癖!
好きな人に気に入られようと、尽くしては報われず…悲しい記憶

そしていよいよ社会人。
入社式のため、会社に向かうと…
なんと、ある男性に一目ぼれ!
同じ会社の門をくぐったことから
「いつかどの部署に居るのか探しに行こう」
とドキドキ。
入社するまでは、気乗りのしない会社だったけれど、
素敵な人を見つけてすっかり有頂天!
何をしに行ってるのかわからない、
ダメダメ新入社員でしたが・・・
1ヶ月研修を終えて配属されたら、
なんとその人が隣の席に!
「運命だ!」
と思いました!
でも、それが不幸の始まりでした。
私からアプローチした形で
すぐに付き合うようにはなれたけど、
バツイチで俺様気質の身勝手な人だったから、いいように振り回されました。

惚れた弱みもあり、
相手の顔色を見て、気に入られようと尽くしては報われず・・・
4年付き合ったけれど、親の猛反対もあって、
結局私から別れることになりました。
実は、私は彼とのことを、
「親に別れさせられた」と、
ずっと長いこと思ってきたのですが、
今思えば、結局この時も
「自分の本当の気持ち」を親に伝えられず、
「親の言いなりになった」だけだったのです。
とはいえ、
嫌いになって別れたわけではないので、
この痛手は大きく、長いこと引きずりました。
それからのちに、
何人かの人とも、付き合ってはみたものの、
「自己中」「モラハラ」「浮気」「タカリ」タイプと、
ろくな男性とは付き合えず、
結局、私が結婚したのは46歳。
恋愛の記憶には、
「女の盛りを無駄にした」という
後悔しか残っていません。

20代、30代
会社員時代も続いた、「いじめや嫌がらせ」
なんで私ばっかり、こんな目にあうんだろう?

最初の仕事は営業(といっても、
銀行のカウンター事務のような仕事)でうまくいっていたのですが、
総務に転属になってからが、大変でした。
『前任者7人がメンタル不全で退職に追い込まれた』という、
いわくつきの仕事に回されたんです。
今思えば、私のことも
自主退職させようと、その仕事の担当にしたのかもしれません。
その後、転勤したのですが、
そこには「スーパー意地悪お局様」が待っていました!
・新しい仕事のやり方を教えてくれない
・それどころか、大事な資料を隠す
・間違いを皆の前で指摘し、叱責する
・同僚の後輩女子を使って、馬鹿にする
・毎日のように、イヤミを言う
今思うと、当時は遅刻や仕事のミスも多くなっていたので、
おそらく「プチ鬱」状態だったのではないかと思います。

どこに行っても、
次から次に襲ってくる
いじめや嫌がらせ・・・
「もうダメ…限界」
ついに、11年勤めた会社を、
29歳で退職することにしました。
比較され続けて育った、妹との関係も最悪!

当時私は、
社会人になっていましたが、
3歳違いの妹との関係も最悪でした。
お互い比較されて育ってきたせいか、
妹は私を陥れようといつも画策していました。
特に嫌だったのは、
私が付き合っていた人とのことを書いた日記を見つけては
母に告げ口するようになっていました。
おかげで、母から彼のことをいろいろ言われる羽目になり、
しまいには父親まで猛反対して、手を上げてくる始末。
おかげで私は妹が大大大嫌いになりました!
ある時、妹への怒りと憎しみが大爆発し、大喧嘩!

このまま、こんな家にずっと居たら
いつか事件を起こして、警察沙汰、
新聞沙汰になってしまうかも…
「もうこれ以上、この家にはいられない!」
これまでも、さんざん
妹の告げ口に腹をたてながら我慢し、
母の顔色を気にしながら生きる生活にうんざりしていた私は、
これを機に実家を出て一人暮らしをすることにしました。
45歳 母に内緒で結婚!
攻撃(口撃)してくる母におびえ、絶縁した悲しい日々

そうこうしているうちに、あっという間に40代が見えてきて、
人生にちょっと焦りが出てきました。
「このままずっと一人なら、
人生後半、どうやって生きるか?」と。
妹との関係は相変わらず最悪の状態だったので、
将来実家に戻って一緒に暮らすなどとは考えられない。
結局、「終の棲家」のマンションも自分で購入!
「私は一人で、ここで一生過ごす」と決めたのもつかの間、
なんと、40代も半ばにして、今の主人と出会って半年くらいで結婚したのでした。
でも実は、この結婚は、母には内緒だったんです。
母との関係がすでに希薄になっていたこともありますが、
なんといっても、
20代に好きだった人との結婚を猛反対された経験から、
「次に結婚したい人ができたら、
絶対親には紹介しない!」
と心に決めていたからでした。
もちろん主人は結婚前、
何度も「お義理母さんに挨拶に行きたい」と申し出てくれていました。
でも、母が原因で、
主人と私の関係が悪くなるのではないか?
との不安から、ずっと断っていました。
結局、母に結婚の話を伝えたのは、入籍の前日。
「明日入籍するから」
とだけ言って、電話を切りました。
が、この行為がまた大きな火種となりました。


プライドの高い母は、その不満を主人に向けてきました。
「親を何だと思ってる!」
「挨拶にも来れない人なんて最低だ!」
などなど…
それはそれは、
ものすごい剣幕で電話してきました。
何度
「私が合わせなかったんだ」
「悪いのは私なんだ」
と説明しても、聞く耳を持ちません。
それどころか、
好き放題に罵声を浴びせる電話を
ジャンジャンよこしてくるようになりました。
私はたまらず、叔父や叔母に長い手紙を書き、
状況を説明して、
母の攻撃を和らげてもらおうとしたのですが、
母の暴言は日に日にエスカレートし、
周りの人が止めてもやむことはありませんでした。
そして私はついに、母の電話番号をブロックしました。

波乱の幕開けとなった結婚で、
嫌な予感がしていたのですが…
その後、結婚2年目にして、
なんと私に子宮頸がんが発覚!
幸いまだ初期段階だったため、
子宮も温存、抗がん剤の服用もせず、
内視鏡で患部を切除する、
簡単な手術で済むとのことでした。
とはいえ父もガンで亡くしているため、
万一のことも考えて母に連絡することにしました。
今思えば、
電話をブロックしたものの、
さすがに病気・手術の話しであれば、
「優しい言葉の一つ」もかけてくれるのではないかと、
心のどこかで期待していたんだと思います。
ところが…
返ってきた言葉に耳を疑いました!
「かあさんのこと、
会いたくないくらい嫌いだって言う娘のことなんて、知らない!」
と捨て台詞を吐かれ、
ガチャンと電話を切られてしまったのです。
今まで実家を出て、
ずっと一人ぼっちで頑張って生活してきて、
こんな連絡するのは初めてなのに…

「お母さんは、娘が死んだとしても、かまわないんだ!」
「もうお母さんとは、本当に縁が切れたんだ!」
「私には、お母さんはいないんだ!」
と、同時に
「きっと、お母さんに反抗したからなんだ」と、
涙があふれて止まりませんでした。
人生を変えた「心理学」との出会い

結婚後、憧れていた専業主婦になったのですが・・・
退職して分かった「専業主婦の孤独感!」
誰からも電話の一つもかかってこない、社会から疎外された日々。
実家の母と妹とは、絶縁状態になっていたため、平日の昼間はほぼ一人ぼっち。
「私は、誰からも必要とされていない」
「これではウツになる」
と思い、なんとか社会とのつながりを求め
パートをしながら、いろいろなセミナーに参加することにしました。
そして、
会社員の頃には絶対に考えなかった
「起業する」という道を考えるようになりました。

初めての起業は「お片づけ」でした。
片付けが苦手なお客様は、
基本「片付けが嫌い」な方が多く、
すぐに「お休憩」をしたがるのです。
「計画通りに進めてくれれば、片づくのに…」
と葛藤して先輩に相談したところ、
「お客様があなたに望んでいるのは、
片づける事じゃなくて、話しを聞いてもらいたいのよ!」
とのこと。
衝撃でした!

そこで「話を聴くプロ」になるため、
カウンセラーの学校に通うことにしました。
これが心理学との、本格的な出会いとなりました。
私の入ったカウンセラーの学校は、体験型でした。
様々ある心理療法やセラピーを、
先ずは体験しながら学ぶというもの。
仕事に活かすつもりで入ったカウンセラーの学校でしたが、
講座を受けるたびに、
心にたまっていたいろんなものがあふれ出し、
癒されていくのがわかりました。


「私、こんなに涙があふれるほど、傷ついていたんだ…」
「思っていることを素直に話しても、大丈夫なんだ…」
「話を聴いてもらう、受け入れてもらえるって、こんなに安心できるんだ…」
こうした体験をしていくうちに、
どんどん心理学のとりこになっていきました。
「心の癖」を変えたら、人間関係も人生も好転!


心理学を学び、実践するうちに
「私はずっと、”言わない道”を選択していた」
ということに気づきました。
- 「私は何を言っても、理解されない」
- 「私が何を言ってもムダ」
そして、そんな思い込みが、
私の人生を苦しくしていたのです。
それは、これまでの経験で
理解されないことへの”恐れや不安“から来ていたのかもしれません。
でも、これまで学んできた
心理学の知識やスキルを本気で実践していくうちに、
それらの恐れや不安が少なくなっていきました。

そこで、勇気を出して
「言う」ことを選択するようにしました。
すると・・・
・悪口を言っていた相手が、今では最高の理解者に!
・人間関係のストレスが激減!
・自分の気持ちを大切にできるように!
・母のコントロールや過干渉からの解放!
・「NO」を言うことへの罪悪感からの解放
などなど、人生が激変!

「人生は、自分の選択で変えられるんだ!」
そう実感することができました。
あなたの「心の癖」もほどいて、自由になりませんか?

私は50代で「心理学」に出会いました。
それまでの人生は本当に苦しかった。
- 家族関係がうまくいかない
- 仕事でも人間関係が辛い
- 恋愛もうまくいかない
「もっと早く心理学を学んでいたら…」
と後悔しました。
だからこそ、私と同じように
「生きづらさ」を感じているあなたに伝えたい。
「その苦しみは、
あなたのせいじゃない!」
あなたの心には
「間違った思い込み」が刷り込まれているだけ。
その「心の癖」をほどくと、
世界がガラッと変わります!
私は『輝くわたし覚醒』メソッドで、
あなたが「自分らしく輝く」ためのお手伝いをします。
あなたが「私も変われるかも…」と思ったなら、
ほんのチョット勇気を出して
ぜひ一歩を踏み出してください!
私が全力でサポートします!
次に輝くのは「あなたの番」ですよ!

NOが言えない・ガマン体質・なぜか不当に扱われる
仕事に追われ、人間関係に悩み、心が疲れ切っている方

あなたを縛る「心の癖」をほどくと
世界がガラッと変わる!
『輝くわたし覚醒』メソッド!

心理カウンセラー 関口 敦子